創業は1910年。スエヒロの味は、ざっと明治時代に遡る。創業者から暖簾分けされた初代が、戦後、この地に開店させたのが『平野町スエヒロ』だ。康弘さんは、その初代の孫に当たる。当初はステーキがメインだったが、1980年代に石焼きを始めたところ大いに受けた。「自分でステーキ肉を自由に焼く。つまり、自分のペースで食べられる点が受けたのでしょう。さらに、肉の油が石焼きの下に落ちていく仕様が『ヘルシーでいくらでもいける!』と評判になったそうです」と康弘さん。さらに肉の旨さを際立たせているのが、玉ねぎやにんにくなどと一緒に煮詰めた自家製醤油ダレ。カラシとともにいただくのが、平野町スエヒロ流だ。
父(2代目)の時代は、まさにバブル全盛期。その好景気も弾け、後もさまざまな世界的経済危機と対峙してきたが、経営は盤石だった。しかし「父のもとで、ただ味を受け継ぐことだけを考えて働いていた」という康弘さんに、受難が訪れる。父の突然の死だ。「経営に関与していなかったので、銀行手続き、登記変更、相続など頭の中は真っ白。そんな時に助けてもらったのが、組合の方々でした。『わからんことがあったら何でも聞いて!』といってもらいましたが、正直、なにがわからんかもわからん状態(苦笑)。弁護士、税理士さんまで紹介してもらいましたね」。こうして2017年、康弘さんは3代目となった。
その後のコロナ禍、そして物価高騰と、「まだまだ受難は続いていますよ」という。しかし、価格に見合い、かつ良質な肉のバランスを見極めた妥協なき仕入れに注力することで、ファンの満足度を維持し続けている。
この界隈では今、マンション建設が進んでいる。「コロナ禍以降、減少したビジネスパーソンに代わって、ファミリー層が増えてきました。今後は、少人数向けやお子様向けのメニュー開発も検討しています」。味は変わらねど、時代の変化には対応していかねばならない。これも、三代目ならではの試練だろうか。しかし、康弘さんの温厚な表情は、「それも“醍醐味”」と語っているかのようだ。 これからも、平野町スエヒロの“変わらぬ”進化は続く。