1922(大正11)年に洋食食堂として開業。当時かけそばが10銭だったことから、アラカルト1品10銭均一という手頃な値段が話題となった。同店の代名詞とも言えるオムライスは開業間もない頃に考案され、その人気もあって昭和8年には全23店舗にまで急成長を果たす。しかし戦争でその多くを焼失し、北橋さんが30歳で後継した頃には3店舗にまで減少していた。現在のオムライス専門店としての業態は35年ほど前からだ。「友人から堀江に出店しないかと依頼があったのですが、当時の堀江は何もない土地。その頃は和洋中と手広く展開していましたが、普通の店では誰も来ないということで、親父が考案したオムライスを主体にしてみました。するとすぐにメディアに取り上げられて話題になったんです」。そこから北極星=オムライスのイメージがさらに広く浸透した。
北橋さんは当然、多店舗展開の経営者という立場だが「帳簿などは見たことがありません。そういうことができる人に恵まれてきたおかげで今日があります」という。現在展開している店舗は自ら場所を探したのではなく、すべて依頼を受けて出店したもの。求めに応じてきた結果、今の同店があると言える。「100年近く続けてこられたのは、いい縁とスタッフに恵まれたと言うほかありません。運がいいんでしょうね」。それだけにスタッフへの信頼は篤く、70歳を過ぎてからは新商品の開発を各店の料理長に一任している。「『なんとかなるやろ』の精神が大切だと思っています。失敗もしてきたし、借金を背負ったこともあります。それでもなんとかなるやろと思わないとやってられません(笑) 今回のコロナ禍でも借り入れしたりで急場を乗り切っていますが、不自由を常と思えば不足なしです」。そんな飄々とした物腰こそ、荒波を物ともしない生き方の秘訣なのだろう。